ソーシャルゲームの中毒性

突然ですが、また技術とは関係ない話をしたいと思います。

技術っていうのは何なのか、疑問なところではありますが。

僕はゲームが大好きです。

スマホでゲームが出来るようになってから、

毎日のようにゲームで遊んでいます。

【ネットワークを介したゲームについて】

とあるスマホゲームで遊んでる時のこと。

ソーシャルゲームと呼ばれる、携帯の向こう側にはネットワークを通じた他のプレイヤーが存在していて、

彼ら彼女らもこの地球上のどこかで生活しながらゲームをしています。

そんな僕たちが、とある決まった時間に集まって、ひとつのことを成し遂げたり、

くらだないことを喋ったりと、

コミュニケーションをとりながらゲームを楽しんでいます。

僕はそのゲームを途中までひとりぼっちで遊んでいました。

僕はソーシャルゲームに飽き性で、すぐに辞めるだろうと思い、

誰とも接さずに飽きたらひっそりと辞めていこうと考えていました。

しかし、プレイをしている間にゲーム内でコツコツと強くなっていき、

突然トッププレイヤーから一緒のギルド(ゲーム内であつまるチームのようなもの)に誘われたのです。

ひとりでプレイするスタイルにも限界が来ており、仲間を作るのも悪くないと思った僕は、二つ返事で了承しました。

そこで、とある問題にぶちあたったのです。

それは、ギルド内に、相手の気持ちを考えずに発言をするプレイヤーが居たこと。

僕も、他のメンバーも生身の人間です。

コンピューターではありません。

なのにそのプレイヤーは他のプレイヤーの迷惑を考えず発言や行動を繰り返しました。

その結果、ギルドのメンバーのひとりが迷惑プレイヤーが嫌だという理由でギルドを脱退。

内心嫌っていたメンバーも次々に脱退していきました。

それまでギルドをまとめ上げていたギルドマスター(ギルドの創設者であり纏めていたリーダー)もゲームに来なくなってしまいました。

そして迷惑プレイヤーは誰もいなくなってしまったギルドに旨味を感じなくなり、他のギルドへ移籍していきました。

その後も新天地で嫌われて点々としていくでしょう。

特殊な心を持っているのか、嫌われていると気付かずにゲームを辞める気配はありませんでした。

このコミュニケーションは、現実の世界でもよく目にする光景です。

ただ、ソーシャルゲームの世界では「匿名性」があり、どんなことがあってもやり直しがききます。

僕たちが危惧しないといけないことは、やり直しができるからといってむやみやたらに人を傷つける行為は、現実の世界に跳ね返ってきます。

ゲームの中でやっていた言動がつい現実で出てしまうのです。

【課金について】

ほとんどのソーシャルゲームについては課金という機能があります。

要するに、現実の世界のお金を支払ってゲーム内で何かを得ることです。

これはずっと問題視されているものです。

もちろん、ゲームの運営会社が巨額な富を得ることについては否定はしません。

ただ、プレイヤーが生活を壊してまで課金をするという社会現象まで起こっています。

現実世界も競争社会ですが、ゲーム内の世界はもっと過酷な競争社会です。

「戦う」行為をスタイルにするゲームでは、強さこそが正義となります。

自分のキャラクターが倒されると悔しいという気持ちや嫉妬が生まれます。

その気持ちにつけこんでプレイヤーに課金させます。

僕がプレイしているとき、とあるチャットを見かけました。

twitterで他のサーバーでプレイするプレイヤーが毎日30万円課金していると。

そのプレイヤーは僕の30倍の強さがあるということを知りました。

そして僕の30倍の強さがあるというのは、数値的なものであって、僕が30人いれば勝てるというものではありません。

僕が300人いても勝てない強さでした。

そこまで強いと、さぞ気持ち良いだろうと簡単に想像ができます。

しかし、毎日30万円、月に900万円も何故ゲームに使うのか。

お金の使い方は自由だが、他の追随を一切許していない状況であるにも関わらず、

さらにお金を使うのはどうしてだろうかと疑問に思うことがあります。

「強さ」を買うのであれば、行き過ぎた課金にも疑問が残ります。

一種の消費衝動なのか、本人に聞いてみたいとは思っていましたが、別に本人と仲が良いわけではないので、経済を潤滑してくれているので放置することにしました。

ソーシャルゲームも運営方法や運営方針によってはプレイヤーが激減する時期があり、

存続が続けられなくなる可能性も出てきます。

そうなってしまうと、ゲームに課金して購入したアイテムは、ただの「データ」であり、

そのデータもゲームがなくなってしまうと一緒に消えてしまいます。

その時、そのプレイヤーは何を思うのでしょうか。

【一日に使う時間について】

ソーシャルゲームは、いつでもどこでも出来る魅力がある。

もちろんネットワークに繋がっていない端末からはアクセスできないが、

アクセス制限がかかっていない限り、日本国内はほぼ大丈夫だろう。

この便利さが人の多くの時間を使っている。

通勤通学中にゲームをしている、中には違反をしてまで運転しながらゲームを

している人がいるくらいだ。

ゲームの中には、〇時からイベントがあったり、そのイベントが1日に何回もあったり、

1日1回のデイリークエストや、そういったユーザーを飽きさせない仕組みが用意されている。

僕もそういうクエストやイベントにハマっていた人間なのだが、これを毎日続けることによって、ゲーム内の自分が成長していく。

逆にやらないと周りと差がついてしまい気になってしまう。

確かに人間の1日に費やせる時間は有限で24時間しかない。

そして多くのゲーム運営会社がプレイヤーのアクセス時間というパイの取り合いをしている。

スマートフォンが普及したこの世の中で、デジタルコンテンツを1つに絞って遊んでいる人は稀なのではないだろうか。

ソーシャルゲームは大体が無料でダウンロード可能でプレイも無料だ。

複数のゲームを遊んでいる人をどうやって興味を持たせるか、どうやって接続してくれるか、

それを考えた結果、ゲーム内にイベントを増やしたり、日付が変わると特典が消滅するデイリークエストなどを用意する。

そこで悔し思いをしたプレイヤーに課金させるために。

僕は毎日イベントもクエストも行っていたゲームのアカウントが、

一時アカウントでプレイしていたというのもあり、突然消滅した。

その次の日にこう思った。

「自分はこんなにも使える時間があったのか」と。

【ソーシャルゲームは悪ではない】

いろいろ、ソーシャルゲームの悪口を書いているみたいになってしまったが、

僕はソーシャルゲームは悪ではないと思っている。

ひとつのeスポーツとして、スポーツマンシップに則ってプレイすれば。

プロになれる可能性があるのであれば生活を壊してでもやればいい。

ゲームをやる環境は、現代日本において言うと「持って生まれた先天性のもの」

だと僕は思う。

親がゲームに対して良い感情を持っていなかった場合、小さいころゲームができなかった。

すると大きくなって自由が手に入った時、ゲームを思う存分やることができる。

ある程度幼少期が自由だった場合、ゲームを経験してきたこともあり、大人になってあまりやらなくなる場合もある。

環境は、経済的、心理的の二面性からくる先天性のものではないだろうか。

ソーシャルゲーム(だけではないが)はエンターテインメント性が高いと同時に、

ハマりすぎると人生を壊すところまで行く。

インターネットでも書籍でもあらゆる媒体でみる「ゲームに関する警鐘」みたいなものは無数にある。

しかしそういうことを書く人はゲームを本気でやったことがあるのだろうか?

社会に悪い影響があるという一面だけを切り取ってしまうとただの誹謗中傷だ。

ううむ、よくよく考えると、どうでもよくなってきた。

自律できなければ社会から弾かれるだけである。

その人の人生がどうなろうと知ったことではない。

手を差し伸べるのは小学生まででいいのではないかと思う。

「未成年はまともな判断ができない」

というのはいかなるものかと。

自分の子供の教育がきちんとできない大人のほうがどうかと思う。

色々書いたが、結論は出た。

覚悟を持って行動すること。これに尽きる。

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